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ミュージカル『オーロラに駆けるサムライ』の衣装製作で協力

2011/08/22 14:52  カテゴリ:最新情報

NPO法人 和田重次郎顕彰会(代表 土居貴美) 主催で、12月11日松山市民会館中ホール・12月24日内子座にて、『オーロラに駆けるサムライ』というミュージカルが公演されます。

皆さん、和田重次郎という人をご存知ですか?

明治8年に、西条市小松町で生まれましたが、4歳の時に父親と死別し、そのため、母親の実家があった現在の松山市日の出町に身を寄せました。生活が苦しく、それでも母親は重次郎には腹一杯ごはんを食べさせてやりたいと、自分は空腹をがまんして育てておりました。母親がいくら働いても生活が豊かにならない現実を何とかしたいと、16歳のとき、「アシはアメリカに渡って住友になるぞな」という言葉を残し、翌年、アメリカに密航。ところが言葉も分からない重次郎は、騙されて売られ、北永洋捕鯨の補給船バラエナ号に乗せられて働かされることに。しかし、この3年間に英語や測量技術を見事マスターしてしまいます。

19歳の時、バラエナ号を降りサンフランシスコに戻りますが、再びアラスカへ。犬ぞりによる狩猟で得た毛皮で交易を開始。

21歳の時に日本に帰国して母親孝行をするものの、看板の文字が読めない現実から、自分の活躍の場は日本ではないことを悟り、再び3ヶ月後に渡米。補給船ジェニー号の乗組員として活躍。当時は、未開の地であった北極圏の奥地を探検、金鉱発掘、トレイル開拓、難破船救助などで数々の功業を収め、『犬ぞり使いの神様』とまで言われました。

ゴールドラッシュで金鉱を探し求めた人たちが常に重次郎の動向を注目していたといわれています。

人種差別による迫害を避けるために身を寄せたイヌイットの村では、三つの村を束ねる統治者となるなどの手腕も発揮しましたが、第一次世界大戦勃発後の日米の混乱に飲み込まれ、スパイ疑惑が流れると表舞台から姿を消しました。

58歳の時に母親が死去。重次郎は、ずっと母親へ仕送りを絶やすことはありませんでした。

62歳の時に、滞在先のサンディエゴで倒れ、一人静かに死去。この時の所持金は、53セントだけだったと伝えられています。

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開拓者として名声を残す一方で、松山の母への孝行を終生尽くした郷土の偉人、壮大でドラマチックな人生が『みかん一座』座長戒田節子さんの脚本によってミュージカル化されます。

重次郎が16歳まで過ごした松山市と、母親の遺骨が安置されている内子町の二箇所で公演されることになっています。

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この衣装製作の協力要請を受けました。

アラスカの衣装は寒さから身を守ることが大切、でも、ミュージカルでは体を動かすことが大切、体を動かしやすく、しかし、アラスカの民族衣装らしい舞台衣装の製作にチャレンジです。

どうして、アクティブに衣装製作依頼があったと思いますか?

実は、このミュージカルの演出を担当される戒田節子さんとアクティブの野本理事長とは、何年も前からの親しい間柄で、以前ミュージカルで使用する花嫁衣裳をアトムグループでお貸ししたことがありました。その時、アトムグループの各施設の衣裳部屋を見ていただき、その衣装の多さに驚かれました。

実は、いろいろな大きなイベントで使用する衣装を、いろいろアイディアを生かして、安い材料で、豪華に見えるように工夫してくれる優れたボランティアスタッフがアトムグループには、数名いるのです。

戒田節子さんは、そのことを覚えてくださっていて、私達のところに声をかけてくださったようです。

9月25日には、坂の上ミュージアムにて、和田重次郎の顕彰式を行う予定だそうですが、そのとき、ミュージカルで使用する衣装を贈呈して、ミュージカルまで展示されると伺っています。

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皆さん、是非ミュージカルを見に来てください。

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